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那覇地方裁判所 昭和62年(ワ)444号 判決 1992年1月29日

原告

宮里幸全

宮里京子

右両名訴訟代理人弁護士

弘中惇一郎

新垣剛

弘中弁護士訴訟復代理人弁護士

加城千波

被告

医療法人沖縄徳洲会

右代表者理事長

徳田虎雄

右訴訟代理人弁護士

阿波連本伸

宮國英男

阿波連弁護士訴訟復代理人弁護士

大城純市

主文

一  被告は、原告宮里幸全に対し、二九一八万七六二六円、原告宮里京子に対し、二八一八万七六二六円及びこれらに対する昭和六二年九月五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告宮里幸全に対し、三四一七万円、原告宮里京子に対し、三三一七万円及びこれらに対する昭和五九年一〇月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 原告らは亡宮里浩幸(昭和四二年五月二五日生まれの男子。以下「浩幸」という。)の父母である。

(二) 被告は、肩書地に南部徳州会病院(以下「被告病院」という。)を開設している医療法人である。

2  (浩幸の死亡に至る経緯)

(一) 浩幸は、昭和五九年一〇月二日、腹痛と発熱を訴え、近所の金井医院を受診したところ、被告病院を紹介されたので、翌三日、被告病院を受診した。

(二) 被告病院の担当医師は、即日浩幸を入院させたうえ、翌四日、虫垂炎と診断し、虫垂切除手術を行った。

(三) 浩幸は、一〇月四日の時点で腸に重篤な感染症があり、すでに腹膜炎発症の可能性があったが、手術後、浩幸の病状は悪化の一途をたどり、ますます腹膜炎は重篤になり、遅くとも同月七日までに重篤な汎発性腹膜炎を発症し、同月八日に腹膜炎による敗血症性ショックを起こした。

(四) 浩幸は、同日集中治療室へ移されたが、状態は好転せず同月一一日午後五時四五分死亡した(以下「本件事故」という。)。

3  (浩幸の死因)

浩幸は、入院当初より重症の急性腸炎であったところ、それによって腸に穿孔と潰瘍が生じ、このため汎発性腹膜炎、腸管壊死、イレウスとなり、敗血症、ショック、腎不全、肝不全、DIC等により死亡したものである。

4  (被告の責任)

(一) 債務不履行責任(主位的主張)

被告と浩幸との間で、昭和五九年一〇月三日、被告の履行補助者である被告病院医師らにより浩幸の急性腹症に関し適切な治療をする旨の診療契約が成立した。しかるに、後記(三)記載の被告病院担当医師の不適切な治療により本件事故が発生したのであるから、被告は原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 不法行為責任(予備的主張)

被告病院担当医師は後記(三)記載の過失により本件事故を惹起したものであり、右医師の行為は不法行為を構成し、右医師の使用者である被告は民法七一五条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(三) 被告病院担当医師の過失

(1) 浩幸は昭和五九年一〇月四日時点で重篤な腸炎であったのだから、早急に原因を探索し処置すべきであり臨床所見だけからは確診に至らなければ試験開腹を行うべきであったにもかかわらず、単なる虫垂炎と診断し他に何らの処置をしなかった。

(2) 一〇月四日の虫垂炎手術時に、浩幸の病状は虫垂炎でないことが明かとなったのであるから、試験開腹に切り替えて腸の病変部を探索すべきであったのにそれを行わず、腸炎に有害な虫垂炎切除手術のみを行った。

(3) 一〇月四日の虫垂炎手術時に、病状が虫垂炎でないことが明らかとなったのであるから、その時点で重篤な腸炎でありかつそれによる腹膜炎が発生しつつあることに気づき、ドレーンを入れて容態を厳重に観察すべきであったにもかかわらず、これを怠り、漫然と安静・抗生物質の投与という消極的治療を行った。

(4) 一〇月四日の手術後、浩幸の病状は悪化し、汎発性腹膜炎発症の疑いが日毎に顕著になったのであるから、積極的に検査を行い、遅くとも一〇月七日までに開腹手術を行い腹膜炎の疾患部位の切除、結紮をすべきであったのに、これを怠った。

すなわち、本件においては、もともと浩幸は重症の急性腹症として被告病院を紹介されたものであったところ、一〇月四日の虫垂炎手術時にも炎症所見が明らかで、その後も安静、輸液、絶食、抗生物質投与をしても好転しなかったのであり、発熱、下痢、腹痛、腹部の膨満、圧痛といった臨床症状があって、レントゲン所見でも腹膜炎の存在、悪化を疑うべき重症な麻痺性イレウスが認められたから、一〇月七日までの間に腹膜炎の発症を認識予見することが可能であった。

そしてこの間に、汎発性腹膜炎の重要な所見である筋性防御、圧痛、腹膜刺激症状等があったと考えられるのであるから、被告病院医師はこれら腹部所見を十分に把握し、内科的治療では不十分とみられれば緊急に腹膜炎の疾患部位を摘出する外科的治療を行うべきであったのに、これらをいずれも怠ったものである。

さらに、被告病院医師は、右虫垂炎手術時に腹部に腹水がたまっていることに気付いたのであるから、少なくともドレーンを入れて腹部の中の病状の進行が把握できるようにしておくべきであったのにこれを怠った。この処置をしていれば腹膜炎の進行に容易に気付いたはずである。

(5) 浩幸は、重篤な腸炎であったのであるから、尿量や血液の状態などを測定して適切量の輸液を行い循環血液量を保つ必要があったのに、これを怠った。そのため循環血液量が不足し、このこともショックの発症の一因となった。

5  (損害)

(一) 浩幸の逸失利益 四一三四万円

浩幸は当時一七才の健康な男子であるから、昭和六三年度賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計男子労働者の全年齢平均年収四五五万一〇〇〇円を取得するはずであった。浩幸の就労可能年数を四九年として、生活費として五〇パーセント控除し、ライプニッツ式計算方法により中間利息を控除すると、次のとおり浩幸の逸失利益は四一三四万円を下らない。

4,551,000×18.1687×0.5

=41,340,000

(二) 慰謝料 二〇〇〇万円

(1) 浩幸の慰謝料 一〇〇〇万円

浩幸は本件事故により生命を奪われたのでこれを慰謝するには右金額が相当である。

(2) 原告ら各自の慰謝料 各五〇〇万円

原告らは本件事故により長男である浩幸が死亡したため甚大な精神的苦痛を被ったのでこれを慰謝するには右金額が相当である。

(三) 葬儀費用 一〇〇万円

原告幸全が浩幸の死亡により負担した葬儀費用のうち一〇〇万円が本件と相当因果関係のある損害である。

(四) 弁護士費用 各二五〇万円

原告らは被告に対し、本件について賠償を求め示談によって解決する意思の有無を尋ねたが、被告が全く応じないため、原告ら代理人に本訴の提起と訴訟追行を委任し、東京弁護士会所定の着手金及び報酬の支払いを約した。右弁護士費用のうち五〇〇万円(原告各自二五〇万円)は本件事故と相当因果関係のある損害である。

(五) 原告らは浩幸の相続人であり、相続分は各二分の一である。

したがって、原告らは右(一)及び(二)(1)の浩幸の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続によって取得した。

6  よって、原告らは被告に対し、主位的に債務不履行に基づき、予備的に不法行為(民法七一五条)に基づく損害賠償として、原告幸全は三四一七万円、原告京子は三三一七万円及びこれらに対する本件事故の翌日である昭和五九年一〇月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は知らない、(二)の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実のうち、昭和五九年一〇月三日被告病院を受診した点は認め、その余の事実は知らない。

(二)  同2(二)の事実は認める。

(三)  同2(三)の事実は否認する。

(四)  同2(四)の事実のうち、「好転せず」までの部分は否認し、その余の事実は認める。

3  同3の事実のうち、浩幸が腸炎によって腸管に顕微鏡的な穿孔が生じ、このため汎発性腹膜炎に罹患し、敗血症性ショックに至って死亡したことは認める。

4  同4について

(一) (一)(二)は否認ないし争う。

(二)(1) (三)(1)は争う。

被告病院担当医師は昭和五九年一〇月三日浩幸の病歴、紹介状、レントゲン検査、触診等から①急性虫垂炎、②S状結腸捻転、③急性腸炎を疑っていたのであり、翌四日、腸炎を念頭におきながらも虫垂の穿孔を疑ってそのための手術をしたのは圧痛の最高点が右下腹部にあったためであり、虫垂炎を疑うだけの理由があったからである。結果的に虫垂は漿膜の発赤のみであったが、その場合でもこれを摘出するのは外科の通常の処置であり、何ら問題にならない。

(2) (三)(2)は争う。

被告病院担当医師は注腸造影剤による検査の結果、S状結腸捻転でないことが明らかになるに及んで、一〇月四日虫垂切除のための試験開腹を実施したのである。この試験開腹は当初から虫垂切除及びその周辺臓器の診断を目的としたものであって、開腹手術後に方針を変更したものではない。開腹の結果、虫垂炎を否定し腸炎と診断したが、腹水がきれいで、死亡後穿孔が生じていたことが確認された回腸、盲腸、上行結腸の腸炎の病変部を確認したところ穿孔はなく、その他に外科的手術を要する患部もなかった。したがってこれ以上開腹して腸内を探索することは不必要なばかりかかえって腸炎を悪化させるだけで危険である。

(3) (三)(3)は争う。

本件では腹水はきれいであったのだから、ドレーンを入れることはかえって腸内に雑菌を侵入させる危険があるのでドレーンを使用しないほうが外科的処置としては正しい。

(4) (三)(4)は争う。

浩幸については、昭和五九年一〇月七日までに汎発性腹膜炎はなく、外科的に手術を要する所見はなかったので、治療としては腸炎に対する治療として通常なされる治療である絶飲食、輸液、抗生物質の投与等の治療で十分であり、被告病院医師は右治療をしていたものであって診療に何らの落度はない。また右治療は腹膜炎に対する治療としても有効であるから、腹膜炎の治療も行っていたのである。

すなわち、腹膜炎があれば直ちに開腹して患部摘出手術をしなければならないわけではなく、限局性腹膜炎であればまず抗生物質の投与による治療を行い、それでも改善しない場合は外科的治療を行う。汎発性腹膜炎であれば、緊急の開腹手術が必要となる。

浩幸には昭和五九年一〇月四日から同月七日までの間に汎発性腹膜炎の重要な所見である筋性防御はなく汎発性腹膜炎を疑わせるほどの激しい圧痛もなく、四日の虫垂炎手術の際に見られた腹水も混濁していなかったのであるから、七日までに汎発性腹膜炎には罹患していなかったものである。したがって、緊急手術の適応はない。

浩幸の死因である、腸炎によって腸管に顕微鏡的な穿孔が生じ、このため汎発性腹膜炎に罹患し、敗血症性ショックに至って死亡することは医学上ほとんど起こり得ないことであり予見可能性がない。

(5) (三)(5)は争う。

若干の輸液の不足はあったかもしれないが、そのこと自体が直ちに汎発性腹膜炎と結び付くものではない。

5  同5の事実は知らない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(二)、同2(一)の事実のうち昭和五九年一〇月三日に浩幸が被告病院を受診した事実、同2(二)の事実、同2(四)の事実のうち浩幸が同月一一日午後五時四五分死亡した事実、同3の事実のうち浩幸の死因が腸炎によって腸管に顕微鏡的な穿孔が生じこのため汎発性腹膜炎に罹患し、敗血症性ショックに至って死亡した事実は当事者間に争いがない。

二右争いのない事実に、<書証番号略>及び証人堀川義文(第一、二回)、同国島睦意、同賀集信(第一、二回)、同本田勝紀の各証言、原告宮里幸全、同宮里京子各本人尋問の各結果を総合すると、以下の事実が認められる。

1  浩幸は、昭和四二年五月二五日生まれの男子であり、本件事故当時一七才の健康な首里高校二年生であったが、昭和五九年一〇月二日昼頃腹痛をおこし、摂氏39.5度の発熱と水様性の下痢をしていたので、夕方近所の金井医院を受診し、風邪と診断された。

2  翌三日夕方、症状が改善しないので、再び金井医院を受診したところ、レントゲン検査の結果腹部にガスが充満しているため被告病院に行って欲しいと言われ、被告病院を紹介された。

3  浩幸は、同日午後七時ころ被告病院を受診し、浩幸と被告との間で浩幸の腹部疾患について適切な治療を受ける診療契約が成立した。

4  被告病院の内科の医師は浩幸を診察したところ、つっぱって破裂しそうな感じの腹痛を訴えており、体温も高く、腹鳴もあり、S字結腸が膨張していた。そして、レントゲン検査、血液検査の結果、同医師は、①急性虫垂炎、②S状結腸捻転、③急性腸炎の疑いがあるので経過観察とした。

同日の血液検査の結果、白血球の数値は五四〇〇(標準値五〇〇〇〜八〇〇〇)で標準値の範囲内であった。また、白血球の分類によるとMeta(後骨髄球)三一パーセント(標準値〇)、St(好中球の桿状核)二九パーセント(標準値三〜六)と数値が増加し、Seg(好中球の分葉核)一二パーセント(標準値四五〜五五)と数値が減少し、核の左方移動が生じていた。赤血球数五六五万/mm3(標準値四一〇万〜五三〇万)、血色素16.3g/dl(標準値一四〜一八)、ヘマトクリット45.7パーセント(標準値三九〜五二)と血液濃縮があり、血小板数は一一万(標準値一四万〜三四万)と低値を示し、BUN(血中尿素窒素)の数値が29.1mg/dl(標準値八〜二〇)に増加し脱水状態であった。これらの検査結果のうち白血球の分類については翌四日に、その他は当日判明した。

5  注腸造影検査の結果、S状結腸捻転は否定され、翌四日朝には圧痛の最高点が右下腹部にあり、反動痛(リバウンド・テンダネス、圧迫を離したときの痛み)があったため、内科の立花医師は急性虫垂炎と診断し、外科に手術を依頼した。以後、大阪府の岸和田徳洲会病院から昭和五九年一〇月より約一か月間の予定で被告病院に派遣されていた外科医の賀集信(以下「賀集医師」という。)が浩幸の主治医として診療にあたったが、同医師は同日のレントゲン検査の結果、小腸にガスが多く、ニボー(鏡面像)を形成していたことから、麻痺性イレウスと診断した。同日の血液検査の結果白血球の数値は六九〇〇で標準値の範囲内にあったが、赤血球数五五九万/mm3と高値を、血小板数九万一〇〇〇と低値を示していた。賀集医師は、急性虫垂炎の場合には通常ガスは虫垂の周辺にたまる程度であるが、本件の場合はかなり腹が拡張して全体にガスが多かったこと、白血球の数値が増加していなかったこと、下痢があったことから、急性虫垂炎としては非定型的であるが、右下腹部の腹膜刺激症状が著明なため、虫垂に穿孔があることも考えられるとして虫垂部分の開腹手術をすることとした。なお、同日の糞便検査の結果潜血反応は(++)であり、消化管からの出血が疑われ穿孔の可能性も考えられた。

6  同日、賀集医師が虫垂部分の開腹手術を施行したところ、虫垂は表面が充血していたが膨張は軽度であり、黄色透明の漿液性の腹水が中等量あり、開腹した六ないし七センチメートルの部分から回腸、上行結腸等を見たところ回腸末端の拡張・充血が著明であったため、急性虫垂炎ではなく重症の急性腸炎(回腸末端部分)の疑いが強いと診断し、虫垂部分の切除を行った上、ドレーンは入れることなく閉腹し、浩幸は被告病院に入院した。そして、病室は三階の三二八号室(大部屋)で、原告京子は、浩幸が苦痛を訴え、付添って欲しいと言うので付添うことにした。

浩幸は小児科病棟に入院したが、小児科の医師は診察しなかった。賀集医師は当時被告病院の外科部長であった堀川義文(以下「堀川医師」という。)に手術の経過と浩幸は腸炎である旨の報告をした。

7  手術後も浩幸の腹部の膨満は著明であり、ガスがたまっており、圧痛、反動痛もあった。そこで、賀集医師はガス抜きを行うよう指示し、さらに、ウイルス性の腸炎の疑いがあると判断し、抗生物質であるAB―PC(アミノベンデルペニシリン)の投与を指示し、通常の腸炎の治療方法である腸の安静を保つための点滴(八日からは高カロリー輸液)、絶飲食を指示し、八日にショックを起こすまで右治療を続けた。

しかし、その後も腹部の膨満及び腹痛、圧痛は持続し、六日夜には時々吃逆(しゃっくり)もあり、四日から八日まで毎日実施された腹部レントゲン検査の結果によると、腹部のガス像は改善されず、腸内音は五日から八日までほとんど聞き取れない状態であり、麻痺性イレウスの状態が次第に悪化していった。

8  また、手術後の五日から八日までの間の血液検査の結果は、BUNの数値は五日、30.8mg/dl、六日、44.4mg/dl、七日、59.7mg/dlと漸次増加し、八日にはヘマトクリット値五〇前後、BUN五五となりかなりの脱水状態となっており、血中クレアチニン値は七日に4.8mg/dl(標準値1.0以下)となり、この検査結果は腎機能の悪化を示していた。

白血球の数値は五日四六〇〇、六日五二〇〇(分類は、Meta一二パーセント、St五三パーセント、Seg一一パーセント)であったが七日以降は一万を超え、血小板数は五日八万八〇〇〇、六日九万八〇〇〇、七日一一万一〇〇〇と推移し、重症の感染症が疑われる状態となっていた。

9  堀川医師、賀集医師は、通常の腸炎であれば二、三日安静と絶飲食、輸液をすれば快方に向かうことが多いのに浩幸の病状が全く改善されないのは、虫垂炎の手術をしたためであると考え、前記のレントゲン検査の結果、血液検査の結果について特に注意を払わず、腹部所見の診断に重要と認められている直腸診も行わなかった。そして、医師達は、浩幸が苦痛を訴えても、大げさに痛みを訴えるものとみなして、我慢する力がないとか、ノイローゼ気味だ等と付添の原告京子に告げたりして、真剣に受けとめなかった。

10  浩幸は同月七日個室に移ったが、同月八日、浩幸の腹部は全体に緊満し、同日午後一時ころ、敗血症性ショックを起こし、I.C.U(集中治療室)に移され治療を受けたが、同日午後三時四五分には心停止となり、その後蘇生術により一旦もちなおしたものの、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)、急性腎不全を併発し、同月一一日、被告病院医師が敗血症の病巣を治療するため試験開腹を決定し、その準備中の午後五時四五分に死亡した。

11  浩幸の死亡後、沖縄県立中部病院から毎週一回定期的に被告病院の病理診断に来ていた国島睦意医師が堀川医師ら被告病院の医師立会の上被告病院で浩幸の腹部を解剖した結果、腹水は混濁し、小腸、上行結腸の漿膜面に炎症があり、潰瘍が多発し、小腸には顕微鏡的穿孔があり、腸炎とグラム陰性菌による汎発性腹膜炎を起こしていたことが認められた。そして、その際浩幸の上行結腸の潰瘍のひどい部分をところどころ標本として採取し、その写真(<書証番号略>)を撮影したが、被告は、本訴提起後の平成元年二月ころ、この標本を廃棄処分してしまった。

以上の事実によると、浩幸は、当初より重症の腸炎であったところ、汎発性腹膜炎を発症し、敗血症性ショックを起こし、DIC、急性腎不全により心停止し本件事故が発生したものと認めることができる。

三次に、<書証番号略>、証人本田勝紀、同堀川義文(第二回)、同賀集信(第二回)の各証言を総合すると、以下の医学的知見が認められる。

1  急性腹症とは、急激に起こる腹痛を主徴とする腹部疾患に対する総括的な呼称であるが、急性腹症の鑑別診断は必ずしも容易ではなく、緊急開腹手術をする必要があるか否かを可及的速やかに判断することが重要である。

2  急性腹症のうち、臓器の破裂・穿孔による汎発性腹膜炎や臓器の炎症のうち重症のものなどについては緊急手術を要するが、腹部の理学的所見が手術適応の有無を決定する上で最も重要である。とりわけ、触診により、圧痛、反動痛(ブルンベルグ徴候、手で腹壁を静かに圧迫してゆき、急に手を離したとき局所に著明な疼痛を訴える場合)、筋性防御、腹壁緊張、板状硬などの腹膜刺激所見がある場合には、全身状態を考慮に入れ、緊急開腹手術を行わなければならない。

また、聴診により腸内音が聞こえないときは麻痺性イレウスが疑われる。

血液検査の結果は、感染を伴う急性腹症では白血球数は高値になるが、重症の感染症では逆に低値になることもあり、赤血球数及びヘマトクリット値は出血時には低値になるが、脱水症により高値になることもある。血小板数が低値になるときは重症の感染症が疑われる。

3  腹膜炎とは、主として細菌の感染による腹膜腔の炎症をいい、病変の進展状況から急性・慢性、炎症の進展、拡大の程度によって、汎発性・限局性に分類できる。限局性腹膜炎の場合も突然汎発性腹膜炎を起こすことも稀ではなく、全身症状が時々刻々悪化する場合は常に汎発性腹膜炎を考えるべきである。

急性汎発性腹膜炎とは小腸を包む腹膜腔の大部分に急性炎症の発したものをいい、圧痛が激しく、反動痛を訴え、腹膜刺激初期症状として多くの場合吃逆(しゃっくり)を見、通常多少の発熱を伴う。急性汎発性腹膜炎の症状のうち最も大切なものは筋性防御(腹腔内に炎症病変があり、その炎症性刺激が腹壁腹膜に及ぶと、肋間神経、腰神経などを介して罹患部位に相応して腹壁筋肉の緊張が亢進し、その部分を圧迫すると腹筋が急に収縮して抵抗性の硬さを感ずること)であり、さらにこれが強くなると、筋硬直(腹筋が常に収縮して硬くなる状態)となる。腹膜刺激状態から腸麻痺に移行すると便通もガスも止まり腹部は膨満し、腸内音も消失する。多少の滲出液が現れるが、滲出液は漿液性、繊維素性、出血性、膿性、腐敗性の場合がある。末期には腸管麻痺による鼓腸を発し、腹部は膨隆する。進行するとショックに陥りやすく、敗血症、諸臓器の機能不全やDICなどが起こる可能性がある。検査所見としては、白血球の増加、核の左方移動、血液濃縮、ヘマトクリット値、ヘモグロビンの上昇がみられる。ショック状態になれば血清カリウム、血中尿素窒素(BUN)が増加する。さらに血性蛋白の減少、血性電解質の失調のため代謝性アシドーシスに傾く。本症は、緊急に開腹手術を行い患部を摘出しなければならない。

腹膜炎のなかで最も重症なものが腸などの内腔性臓器の穿孔により内容が漏出しそのため腹膜の刺激、感染がおこされる穿孔性腹膜炎の場合であるが、穿孔性腹膜炎の際はその多くが急性汎発性腹膜炎のかたちをとる。

なお、腹膜炎の診断には直腸診が最も腹膜に接近しうる方法であって有用な手技である。

4  麻痺性イレウスとは腸閉塞(腸内容物が腸管に沿って正常に通過しない状態)の一種であり、ぜん動運動が不足するものであり、レントゲン検査所見として腹部全体にガス像、鏡面像がみられ、腹痛、嘔吐や腹部膨満などの症状がみられ、血液は濃縮され、赤血球数、白血球数は増加する。麻痺性イレウスは、急性腹膜炎を原因とするものが大部分であり、また、往々にして腹膜炎を誘発する。急性腹症で麻痺性イレウスが認められる場合は腹膜炎の存在を意味する。

四被告の責任

前記認定事実及び右医学的知見に証人堀川義文(第二回)、同賀集信(第二回)、同本田勝紀の各証言を参酌して検討すると、次のようにいうことができる。

1  浩幸は一〇月四日のレントゲン検査の結果により麻痺性イレウスであることが判明していたのであり、これに前記二で認定した被告病院来院時から一〇月八日までの浩幸の一般所見及び腹部所見、レントゲン検査所見、血液検査所見、中等量の腹水の存在、便潜血検査の結果及び一〇月八日には腹膜炎のかなり進行した症状と考えられる敗血性ショックを起こしていることなどを考えると、浩幸は一〇月七日までには急性汎発性腹膜炎を発症しており緊急に開腹手術を行い患部を摘出しなければならない状態にあったものと認められる。そうして、右の各所見によれば遅くとも一〇月七日までには急性腹膜炎の発症が確実視されそれが汎発性のものであることも十分に予想される状況にあったといえるから、被告病院医師においては、筋性防御、反動痛といった腹部所見の有無を注意深く観察するなど必要な診断を行って更に確実な所見を得て緊急に開腹手術に踏み切るべきであり、またそうすることができたと認められるにもかかわらず、単なる腸炎と軽信して右腹部所見等を見逃し、漫然と抗生物質の投与及び点滴等の治療を行うのみで、開腹手術の時期を遅延したものというべきであり、この点で被告病院医師に過失がある。

2  被告は、七日までに汎発性腹膜炎はなかったと主張し、その根拠として、汎発性腹膜炎の重要な所見である筋性防御はなく圧痛についても汎発性腹膜炎を疑わせるほどの激しい圧痛はなかったこと、四日の虫垂炎の手術の際に見られた腹水は混濁していなかったことをあげている。

しかし、証人堀川(第一、二回)、同賀集の各証言(第一、二回)によれば、被告病院はチーム医療体制をとっており、毎朝外科医全員で総回診を行っていたところ、五日から八日までの間の総回診の際に浩幸の腹部所見を触診した医師が主治医の賀集医師か外科部長の堀川医師かについては、証人堀川の証言中には賀集医師であった旨の供述があるのに対し、証人賀集の証言中には堀川医師であった旨の供述があり、この点明らかでないが、いずれの医師も総回診の際の浩幸の腹部所見を明確に記憶していないことが認められる。さらに、証人賀集の証言中には総回診以外にも浩幸の腹部所見を診た旨供述するが、<書証番号略>によれば、看護記録中には五日一九時に賀集医師が来診し特に指示がなかった旨の記録があるのみでこれ以外に賀集医師が来診した記録は全くなく、<書証番号略>及び原告宮里京子本人尋問の結果をあわせ考慮すると総回診以外に賀集医師が浩幸の腹部を診察したものとは認められない。これらの事実に、前述の五日から八日までのレントゲン検査所見、血液検査所見、八日に汎発性腹膜炎による敗血症性ショックを起こしていること、<書証番号略>により看護記録には連日圧痛(+)の記載があることが認められること、浩幸が痛みを訴えても、大げさに痛みを訴えるものとみなして、我慢する力がないとかノイローゼ気味だ等と付添の原告京子に告げて真剣に受けとめなかったこと等の事実を総合的に考慮すると、五日から八日までの間のカルテに六日の夜の吉川医師の診察の際に筋性防御(±)の記載がある(<書証番号略>)のみでその他に記載がないこと、六日圧痛(−)の記載がある(<書証番号略>)ことをもってその間筋性防御がなかったとはいえず、かえって、前述のとおり堀川医師、賀集医師が浩幸の病状を単なる腸炎であるからそのうち治癒するものと軽信し、筋性防御の有無について慎重な触診を行わずこれを見過ごしたものと推認するのが相当である。同様に、反動痛についてもカルテには五日に軽度ある旨の記載がある(<書証番号略>)のみであるが、その後八日に至るまであったものと推認することが相当である。右認定に反する証人堀川及び同賀集の証言、<書証番号略>は採用することができない。

また、前記のとおり、腹膜炎の場合の滲出液は必ずしも混濁しているとは限らないのであるから、腹水が透明であったからといって、それだけでは腹膜炎の存在を否定する理由とはならない。

3 そして、既に認定した事実及び証人本田の証言によれば、本件においては遅くとも一〇月七日までに開腹手術を適切に行えば浩幸を救命し得たことが認められるので、右被告病院医師の過失と本件事故との間の因果関係が認められる。

4 したがって、被告は前記診療契約の債務不履行により、本件事故による後記原告らの損害を賠償すべき義務を負う。

五損害

原告ら請求の損害のうち以下に認定する損害は、本件診療契約の債務不履行による浩幸の死亡と相当因果関係のある損害と認められる。

1  浩幸の逸失利益

浩幸は昭和四二年五月二五日生まれで本件事故当時高校二年に在学中の一七歳の男子であったから、本件事故がなければ、昭和六〇年に一八歳に達し、そのときから六七歳まで就労が可能であり、その間に、当裁判所に顕著な昭和六三年度賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者の全年齢平均年収額四五五万一〇〇〇円と同額の年間収入を取得しえ、収入の五割にあたる生活費を要すると推認され、年別ライプニッツ式計算方法により中間利息を控除すると、次式のとおり浩幸の逸失利益は三九三七万五二五二円となる。

4,551,000×17.304(17歳におけるライプニッツ係数)×0.5

=39,375,252

2  慰謝料

本件訴訟にあらわれた一切の事情を勘案すると、本件事故による浩幸の慰謝料として一二〇〇万円を認めるのが相当である。

3  原告らの相続

<書証番号略>によれば、原告らは浩幸の父母であることが認められるから、右1、2の合計五一三七万五二五二円の損害賠償債権につき浩幸の死亡により法定相続分(各二分の一)に従い各二五六八万七六二六円ずつ相続したことになる。

4  原告ら固有の慰謝料

原告らは浩幸の死亡による固有の慰謝料として各五〇〇万円の損害を請求するが、被告と浩幸との間の本件医療契約上の債務不履行により浩幸の父母である原告らが固有の慰謝料請求権を取得するものとは解し難いから、右請求は失当である(最判昭和五五年一二月一八日民集三四巻七号八八八頁参照)。

5  原告幸全の葬儀費用

原告宮里幸全本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告宮里幸全は浩幸の葬儀を行い、葬儀費用として少なくとも金一〇〇万円を支出したと認められる。

6  弁護士費用

原告らが原告ら訴訟代理人弁護士に委任して本件訴訟を提起し維持していることは本件記録上明らかであるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑み、本件事故と相当因果関係を有する弁護士費用として原告ら各自二五〇万円を認めるのが相当である。

7  原告は、主位的に診療契約の債務不履行に基づき損害賠償請求しているので、履行の催告によって遅滞に陥ると解され、本件の訴状送達の日の翌日である昭和六二年九月五日から遅延損害金が発生するものというべきである。

六結論

以上の次第で、原告らの被告に対する本訴請求は、原告宮里幸全は右損害金合計二九一八万七六二六円、原告宮里京子は右損害金合計二八一八万七六二六円及びこれらに対する本件の訴状送達の日の翌日である昭和六二年九月五日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大工強 裁判官加藤正男 裁判官大竹優子は差支えのため署名押印できない裁判長裁判官大工強)

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